雲ひとつ無い紺碧の空。川は透き通り、魚が泳いでいる。
柔らかい風が草木を揺らし、鳥達が囀り、野生の動物が草を食み、草原を駆け回る。
支配されていない車が非常に珍しく、貴重なものとなったこの時代。かつて人が切り開いていた道路は当時の面影すら残っていなかった。
この時代、町から町へと移動するための道路は、機械に見つかりにくく且つ追跡し辛いルートを通るしかなかった。
昔は道路を作るために木を倒し、草を刈り、通り道に住まう生き物を立ち退かせていた人間が
今は逆に立ち退かされてしまっている。それも自らの手で作り出した機械によって。

「まずいな。ガソリンがもう無い」
非常に珍しく、貴重な支配されていない車に乗り、機械に見つかりやすく且つ追跡されやすいが、目的地の最短距離を走っている3人組がいる。
ジョージ、フィリップ、アーノルドである。
「ガソリンのストックは?」
後部座席に座っていたジョージが尋ねた。
「昨日無くなった」
運転しているアーノルドが答えた。
「目的地までは?」
アーノルドは隣の助手席に座っているフィリップに尋ねた
「車で3日、歩けば倍以上かかる」
地図を見ながらフィリップが答えた。そして付け加えるようにジョージに言った。
「もちろん君の人工心臓が動作不良を起こさなければ、の話だがね」
「…それなんだが、フィリップ」
「なんだ?」
「俺の心臓はどのくらいもつんだ?」
「わからないなあ。1ヶ月かもしれないし、1年かもしれない。もしかしたら明日かもしれないし10秒後かもしれない。」
「…」
「なにしろスクラップの寄せ集めだからな。まあ安心しな。目的を果たせたらまともな心臓を作ってやるよ」
ヘラヘラと笑いながらまた付け加えた
「もちろん僕が死ななかったら、の話だがね」

燃料切れ注意のランプが点灯しはじめた頃不意にアーノルドが車を停止した。
「どうしたアーノルド?」
フィリップは車から降り、地面を調べ始めた。タイヤの跡がある。フィリップたちの車のものではない。
「フィリップ、タイヤの跡だ。あの森へ続いている。しかもこの跡から察すると自動操縦ではなく人が運転してできた跡だ」
「こんな森の中に?」
「ああ。森の中に集落があるか、それとも動物を狩に来たのかはわからないがな」
「車があるということはガソリンがあるということだ。ついてるな」
フィリップは会心の笑みを浮かべていた。
「このご時勢ガソリンは貴重なものだ。わけてもらえるとは限らないぞ」
浮かれているフィリップにジョージが注意すると、フィリップは
「そのときはそのときさ。いざとなったらガソリンの入ってる車ごと頂くさ」
「強奪する気か!?なんて奴だ…」
「人聞きが悪いなジョージ。その代わり僕らの車をプレゼントしてあげれば良い。ガソリンは無いが7人も乗れる。かえってお釣が来るくらいだ」
罪の意識がまるで無いフィリップを見てジョージはなんともいえない罪悪感と不安がこみ上げていた。

3人が森に足を踏み入れ15分が過ぎた。タイヤの跡はまだ奥へと続いている。
ガソリンが心許ないのと本当に車を強奪せざるを得なくなった時逃走経路の妨げになる可能性を考え、車は森の入り口に止めている。
ここまで機械や野生動物が襲い掛かってくることも無く3人は黙々と足を進めていた。
ジョージはこの森に奇妙な恐怖を抱いていた。
―――なぜさっきからそこ彼処にいる肉食動物が襲い掛かってこない?
さっきからジョージ達の周りには狼やクーガーが徘徊している。気付かれてない訳ではない。森に入ってすぐこちらを警戒する視線を感じている。
「なあジョージ、さっき群れを成して飛んでいた鳥の名前を知ってるか?」
不意に最後尾のフィリップが口を開いた。
「いや、知らないな」
「あれはオオトラツグミといってな。大昔に絶滅してしまったんだが「統一」後奇跡的に生き残りが発見されたんだ」
「それがどうした?」
「その絶滅種があんなに沢山いると言うことに疑問は湧かないのか?」
「何が言いたい?」
「昔聞いたことがある。「統一」後「統一者」は絶滅危惧種を集め管理してある森に放し、そこを天然の養殖場にしたという話を。恐らくここがそのうちの一つなんだろう」

世界が戦争も無く国がバラバラだった頃、人類は絶滅危惧種の保護に力を注いでいた。
しかし戦争が起き、食糧難になった時、保護を声高に叫んでいたものたちは自分のしてきたことを忘れたかのように無差別に動物を狩り空腹を満たした。
統一が為され、人々の暮らしも安定し始め、世界が平和になった頃、人類は思い出したかのように絶滅危惧種を保護し始めた。
統一戦争中に絶滅した種は40種を超えた。人間の都合によって淘汰されてきた者達が今度は保護されることとなった。それも国民に自分政治の道徳性をアピールするためにである。
殺されるのも保護されるのも、結局人間の都合というわけだ。
だがこの絶滅危惧種保護計画はかなりの種の存続に効果を発揮した。
発揮した。が、これによりかなりの種が絶滅から免れたが生物分布が大きく狂ってしまった。
たとえばエゾヒグマがいる山にヤンバルクイナがいるようなものである。
狂ったのは生物の分布だけではなかった。生態系も大きく狂ってしまったのだ。
戦争が終わり、人々の暮らしが安定期に入っても、失った森林の再生は気の遠くなる年月がかかる。
さらにその数少ない森林には先客がいる。熊やトラなどはともかく小動物は先客の獲物の対象になるだろう。
その問題を解決する手段は、傲慢かつ残酷な手段であった。
方法はとてもシンプルだった。「植物以外の生き物すべてをなくしてしまえ」。
3ヶ月で森の虫や動物は姿を消した。大半は殺され、食料や毛皮へ。
逃げた動物も住処を捜し当ての無い。それこそ死ぬ確率のほうが高い旅を強制させられた。
そしてすべての動物が姿を消した森に新たな住人が住み着いた。
確かに森には絶滅危惧種を襲うような野生動物はいなくなった。しかし、それと同時に取るべき獲物もいなくなった。
そうなれば弱い種から食い物にされていき、結局絶滅の道を辿る。それでは意味がない。
無論人類は絶滅危惧種同士が殺しあわない方法も考えてあった。
それはもはや生命の創造主につばを吐き、平手で思い切り頬を叩き、罵詈雑言を浴びせたあと生ゴミをぶちまけるに等しい行為だった。

絶滅危惧種が森へ離された。森には管理カメラがいたるところに、動物に見つからないよう慎重にセットされている。
そのカメラに写されていた映像は「狂っている」といった言葉がそのまま当てはまる映像だった。
チーターがトムソンガゼルをみても襲い掛からないどころか、自分の足もとの草を食べ始めた。
本来ライオンなどのネコ科の肉食動物は植物などを胃腸で消化できない仕組みとなってるため、
獲物の内臓を食いその獲物が食べていた食物繊維を間接的に摂取することで食物繊維を補っている。
しかしチーターだけでなく、ほかの肉食動物も獲物を見ても襲い掛かることも無く草を食べている。
その時の人類は一から生命を作り出す事も可能なほど文明が発達していた。
生き物の生態系を変えるのも不可能ではなかったのだ。
ではたんぱく質はどう摂取したのか?
草食動物が草しか食べないというのはありえない。どんな生き物でもたんぱく質はなくてはならないのだから。
植物にもたんぱく質は含まれているが栄養価は少ない。
ではどうするか。
人類は人造たんぱく質を作り、それをその個体に1日に必要な分だけ機械を使役し動物に摂取させた。
一匹一匹ちゃんと摂取できるように動物一匹ずつにチップを埋め込み、どの場所にいるか、どのような常態かを監視しているのだ。
多くの動物の運命を狂わせた事件になったが、驚くことに、批判の声のほうが少数派だった。
「滅びかけた種が生き永らえるための手助けをしてやった。」というのが支持するものの意見だった。
「滅びかけたのは戦争を起こしたからだろう。」と言うのが否定派の意見だが、その声はあまりにも小さかった。
例えこの意見により少数派のほうが多くなっても後の祭り。すでに3つの森林が養殖場と化していた。

「…だから例えチーターや狼が目の前にいても僕達には何の危害を加えることは無い」
フィリップは森の奥にいるオオカミに手を振りながら説明した。
「だが俺の山では熊が襲い掛かってくることもあったぞ」
「それは国が手を加えなかった山だ。さすがにこの方法は金や時間がかかりすぎてな、森5つと山3つ養殖場にした時点で打ち切ったのさ」
アーノルドがチーターを睨み付けた。一目散に逃げ出したが獲物を狩ることを忘れたチーターの足は昔の面影すら残ってなかった。
「くそ、いくらガソリンのためとは言え嫌な所へ来てしまった」
フィリップが唾を吐きながら悪態をついた。いつもの人を食ったような顔ではない。どこか侮蔑の混じった表情だ。
「お前がそんな顔をするのは初めてだ。この森に何か恨みでもあるのか?」
「恨み?」
フィリップがジョージを睨む。その表情から強い憎しみが浮かんでいた。
「恨み?恨みだって!?そんなものは無いさ。ただ僕は軽蔑してるだけだ。この森を、いや、こんなもの作った昔の人間をね。そうだろう?勝手に戦争して関係ない生き物を巻き込んで、散々生き物を殺しまくった癖に恩着せがましく滅びかけてる種を保護しようとだぜ?
まるで殺したのは自分達で無いかのような言いぐさでさあ!!おまけに身体をいじくられてるんだ。やってるほうはどう思ってるかは知らないさ。でもやられてるほうはたぶんこう思っていたろうぜ。やめてくれってな!」
すごい勢いでフィリップはまくし立てた。ゼイゼイと息を切らしながらこう付け加えた。今度はいつもの表情で。
「ま、悪態ついてもどうにもならないけどね」

歩くことさらに10分。会話はほとんど無かった。
「…なあ、アーノルド」
不意にジョージがアーノルドに小声で話しかけた。アーノルドは無言でジョージのほうを向いた。
「さっきのフィリップの事なんだが…」
「フィリップは昔生物学者だったと言っていた。だから人の手によって狂ってしまった生き物を見るのが辛いらしい」
「生物学者?その割には随分機械に詳しいな」
「生物学だけでなく機械工学や哲学、ほかにも様々なものを研究していて過去の人間が研究したものはすべて知り尽くし、中でも一番好きだったのが生物学らしい」
「…あいつが、ねぇ…」
ジョージの顔にはとても信用できないと書いてあった。
二人が会話を終えようとしたとき、急に開けた場所に出てきた。
ところどころに木でできた建物もある。集落だ。
「どうやら強奪しなくてもよさそうだ」
上機嫌で物騒なことをフィリップが呟く。
しかしフィリップの言うとおり、燃料タンクが大量にあった。交渉次第で分けてもらえるかもしれない。
3人は集落で一番大きな建物を訪ねた。案の定、集落の長が住んでいた。

「見たところあんたがた2人はハンターのようだ。私達の頼みを聞いてくれるならガソリンは分けて差し上げよう」
長はジョージとアーノルドを見ながら言った。やはりフィリップは贔屓目に見てもハンターには見えないようだ。
長の頼みとは、この森にいる機械を破壊して欲しいというものだった。
森に集落を作ったはいいが、森の中には機械がいて、しかもその機械たちは武装しているらしい。
幸いなことに負傷者はいるが犠牲者は出ていない。出ない内に解決したいがハンターがいない。
村には若者は大勢いるが、誰も機械と闘ったことはなく、無駄死にするのは目に見えている。何より集落から犠牲者は出したくない。
そういうわけで村の若者が街へ行き、ハンターを捜していたのだが、時期が悪かったのか。
今腕自慢のハンター達は報奨金目当てで機械討伐軍に加わり、町にはほとんどハンターはいなかった。
何より報酬が燃料しかなかった。この時代、燃料は確かに貴重だったが、燃料を必要としている者は少なかった。

「密猟者を排除するためこの森の機械は武装している。といっても重火器ではなく弓や棍棒だがな」
2人は森のさらに奥へと進んでいた。フィリップは戦う力がないために集落で待機している。
途中何度か機械の襲撃を受けたが、いずれも単機でしかも武装も貧弱だった。弓や棍棒で武装していたが、サイボーグであるジョージたちの敵ではなかった。
2人は敵を蹴散らしさらに奥、マザーコンピューターのある場所へと向かって行った。
マザーコンピューターは学習したようだ。2人の侵入者たちは普通ではないと。そして束にならないと勝ち目がないと言うことを。
絶滅危惧種保護森林マザーコンピュータ「シャーウッド」は指揮下の機械すべてを召集し、侵入者を待ち構えた。
「シャーウッド」は学習し、理解していた。束になっても勝ち目は無いと。それでも「シャーウッド」は待ち構えた。
「ワールド」から離れ、独立したコンピューター「シャーウッド」。
彼には「人類を滅ぼせ」と言う命令は届いていない。
「動物を守れ」。これが「シャーウッド」の唯一受けた命令であり、生きてきた理由である。
これに背くことはできない。背く気もない。たとえ勝ち目はなくても。
巻き添えを食わないように動物たちは避難させた。
足音が聞こえる。
姿が見えた。
指示した。

それは防衛戦ではなかった。
ジョージ、アーノルドの突進に兵たちはなすすべもなく残骸へと姿を変えていく。
矢が放たれる。アーノルドの体にはじき返される。石斧で切りかかる。ジョージの斧で斧ごと両断される。
森に火が移らないように彼らには火気の装備が実装されていない。
羽交い絞めにして足止めを試みるも2人の強靭な力の前では親におぶさっている赤子のようなものだった。
勝ち目のない戦い。それは最初からわかっていた。
戦いが始まって15分。残っていたのは「シャーウッド」とジョージ、アーノルドの二人。そして鉄屑と化した森の警備兵達だった。
2人が「シャーウッド」に近寄る。
「シャーウッド」は最後の指示を出した。
「防衛不可能。最終コード。絶滅危惧種保護森林第二区域職員は森にすむ動物を速やかに森から避難させよ」
「シャーウッド」は知らなかった。職員はすでにこの世にいないことを。
そしてその職員をあの世に連れて行ったのが「ワールド」に支配され本来動物達を避難させるための移動手段である大型トラックだったことを。
指示を出し終えた後「シャーウッド」は抵抗をしなかった。
もし「シャーウッド」が人間だったなら、おそらく侍のような人物だっただろう。
斧が振り下ろされた。
「シャーウッド」の役目は終わった。
この戦いの目撃者はいない。

「ああ、胸糞悪い」
フィリップは森を見てつばを吐いた。
3人は報酬のガソリンを受け取るとさっさと逃げる様に森を出た。
報酬のガソリンで目的地まで問題なくたどりつけるようだ。
森を見ながらジョージはさっきまでの戦いを思い出していた。
勝ち目がないのに、負けるとわかってて立ち向かってきていた。
息子を殺されたのも、自分がサイボーグになってしまった原因を作ったのも機械だ。
機械は憎むべき相手のはずなのに、戦っていて自分は間違っているのではないかと考えていた。
―――俺はもう人間ではない、人間に戻れもしない。
人として生きることはもうできない。
じゃあ何のために闘う?完全な人工心臓を手に入れて、そのあとはどうする?
無駄な抵抗を続ける警備兵の姿が目に浮かぶ。
ジョージの心境は複雑だった。

集落の住民が銃を持って狩をしていた。
大量の動物が死んでいった。
集落の住民の今夜の食事はニホンオオカミだった。
都合によって生き永らえさせられ、都合によって生態系を狂わされた生き物達が、また都合によって死んでいった。
森が死にはじめた。