あの部屋にどのくらい居たのかは分からないが、どうやら眠りから覚め、鍵を見つけて移動するには十分な時間だったようだ。
次の部屋には「私」はいなかった。次の部屋どころかその次の部屋も、その次の次の部屋にもいなかった。
メモも無い。死体も無い。そして血痕もない。どうやらまだ争いは起きていないようだ。
しかし、いつ「私」がベッドの下の拳銃に気付くかも分からない。そしてあの惨事が起きるかも分からない。私はメモの確認もせず次々とドアを開けた。











あの部屋での惨事以降私は「私」に会うことも無く黙々と、そして延々と同じ事をしている。
今までの部屋に本当に「私」は居たのだろうか?そう思うほど何事も無く物事がスムーズに進む。
もう何回ドアを開けたかも分からない。30から先は数えていない。
私はただひたすら延々と、延々と進み続けた。

私が不安とマンネリ化した行為で疲れが溜まってきた時に「それ」は私の目に飛び込んできた。
疲れは一気に吹き飛んだ。否、疲れを忘れてしまった。


今までの部屋とは違い、そこはとても広い空間で、私が5,600人いてもまだ余裕があるような広さだった。そしてその部屋は白ではなく赤いもの―――血で塗装されていた。
そこには今までの部屋の主である「私」の死体で埋め尽くされていた。
壮絶な不快感と嘔吐感に襲われ、胃液を吐いた。その胃液からは私が何を最後に食べたかは分からないし、目の前の惨状に比べたらそんなものはどうでも良かった。
吐くものを全て吐き出し、感覚が麻痺したのか惨状を見てもさっきよりは落ち着いてその部屋を見れた。もっとも、何百人もの自分の死体を見るのは気分の良いものではないが。
今までのドアで私はベッドの下の銃の確認を怠っていたため気付かなかったが、何人かの「私」は銃の存在に気付いていたようだ。
では何故使わなかったのだろうか?
おそらく気付いた時すでに銃の弾丸以上の数の自分が居たか、こうなることを予測し、自分に有利になるように銃の存在を隠していたかのどちらかであろう。
そして銃を持った「私」の数は半分も居なかったようだ。
銃で死んだ「私」と銃の台尻で殴り殺された「私」の数が圧倒的に違うからだ。
中には首を絞められ殺された「私」も居た。
私はこの場に居合わせなかった幸運をひしひしと感じた。

生存者は私だけのようだ。他の「私」はみんな死んでいる。
私はそれを確認すると次に部屋を調べてみた。
部屋にはドアが三つあった。一つは私が入ってきたドア。もう一つは同じようなドア。恐らくあの先にも「私」が居るのだろう。
そして、そのドアの二倍の大きさの扉。しかしこれには鍵がかかっていた。
いや、鍵どころか鍵穴もノブさえもなく、押しても引いてもビクともしない。
このドアは出口なのだろうか。それともまた同じような部屋があるのだろうか。
私は前者である事を祈りつつ、これからどうするかを考えた。
もう一つの扉に進むか?一つ前の部屋に戻り、そこで何か起きるのを待つか?
それともあのときの部屋の「私」のように・・・。

私は先の扉に進むことにした。
待ったとしても何も起きない事もあるかもしれないし、
なによりこの部屋には居たくない。
私は扉に手をかけた。鍵はかかっていなかった。
そして


扉の先には、返り血にまみれた「私」が立っていた。




「あの部屋の生き残りか?」
―――いや、違う。私は一番奥の部屋からやってきて今さっきついたところだ。
「ほぉ、ずいぶん運のいい自分だな。自分の死体を見るのはあれが始めてかい?」
―――いや、7つ目の部屋で別の自分が銃を見つけて殺し合いになった。
「銃を見つけた私はどうなった?殺されたか?」
―――私以外の自分を殺し、自殺した。
「ということはお前さんは一回も手を汚さずここまで進んできたのか?」
―――そうだ。
「お前は本当に運がいいやつだな。いや、我ながら、の方がいいかな?お前も俺なんだから。」
―――お前もやっぱり?
「ああ、俺はたたき起こされたよ。いや、吃驚したよ。おきてみたら知らない所に何人も同じ顔をした奴が居て、自分も同じ顔だとは思わなかったからな。」
―――その人たちは?
「全員死んだよ。俺が殺したり、他の奴に殺されてな。俺は運良く、いや、悪くかな。銃を見つけたんだ。それで殺したり殺されかけたり、さ。」
―――これからどうするんだ?
「お前はそっちの奥から来たんだろ?俺はこっち側から来た。つまり生き残りは二人だけなのさ。」
―――あのドアを見たか?
「ああ、もちろん。俺はここの奴を殺してドアを開けようとした途端ドアの向こうから悲鳴が聞こえてきたんでな。あけるのをやめたんだ。そして聞こえなくなったからドアを開けたら・・・さ」
―――あのドアの向こうは何があると思う?
「お前も同じことを考えてるんだろう?出口があるってな。」
―――どうすれば開くと思う?
「それもお前はうすうすと思ってるんだろう?最後の一人が出ることができる。てな」


長い沈黙が続いた。「私」が急に口を開いた
「なあお前、最後に聞くが、本当に殺しはしていないんだな?」
私は頷いた。
次の瞬間、「私」はニヤッと笑うと持っていた拳銃を自分のこめかみに当てこういった。
「この部屋の洗面所にあの部屋で殺しあった奴のメモやこっち側の自分が持っていたメモがある。全部は確認していないがちゃんと全部思いだせよ。」
そして最後に独り言のように言った。
「やっぱ表に出れるのは殺してない「俺」がいいな。」
と。
次の瞬間、銃声が響いた。
私は骸と化した「私」に礼と祈りをした後洗面所へと向かった。


そこには紙の束があった。中には血で濡れた物もあったが、読むのに支障は無かった。
その紙を一つ一つめくるたびに、私は私が戻ってくる感じがした。
もう少しだ!もう少しで思い出せる!!
しかし、私がどうしても知りたい物が無い。どれだ!どれなんだ!?家族構成や好きな食べ物、所属しているサークルなんて今はどうでもいい!
いったい、いったい私の名前は何なのだ!!めくれどもめくれどもそこにはどうでもいい情報が書いてある。私は今名前以外はどうでも良くなっていた私は名前の無い男で居ることがとても嫌だった。どんな情報があっても、名前が無かったら何も意味がない。オーティス・レディングが好き?古文が得意?ブロッコリーが苦手?そんな人間は沢山居るだろう。しかし、「私」は一人しかいない。私は一体誰なんだ!?
あった!!私の名前が書かれているメモがあった!!しかし肝心な部分が血で濡れていて読みにくい。私は必死になって穴が開くほど紙を見た。
読み辛い、だが、読める!読めるぞ!!




そうだ!!思い出した!!私の名前は・・・・!!











殺風景な部屋で私は目覚めた。この部屋には洗面所とベッドと、そして扉があった。

目覚めた時間は分からない。7時か?2時か?それとも4時か。この部屋には時計が無かった。
そして今が朝か夜か昼かも分からない。この部屋には窓も無かった。
そして今日の日付も分からない。
5月か?7月か?それとも11月か?この部屋にはカレンダーすらない。
あるのは洗面所とトイレがある部屋とベッド、そして扉だ。

そもそも私が何でこんな所にいるのかも分からない。ここは私の家ではない。
酒でも飲んだか?友達のうちに泊まったのか?何も思い出せない。
とりあえず、私は顔を洗うことにした。そうすれば何か思い出せるかもしれない。
しかし、洗面所で私は鏡を見、驚いた。
鏡には短く刈り込んだ黒髪、少し低めの鼻、そして鏡を見て驚き見開いた目が映っていた。
この男は誰だ?これはガラスか?いや、鏡だ。これは私の顔か??
いや、そもそも

私は――――誰だ???




         名前の無い男  完